星を数えて。

ネガティブOL。34歳。

【ネタバレ】「君の名は。」はそこまですごい作品だったか考えてみた。

有給を取って公開日に君の名は。を観てきた。

f:id:yukusora1:20160904124746j:plain

美しい映像とRADWIMPSの挿入歌で世界観が大きく、圧倒的に広がって、観終わった後に感動でふわふわした気持ちになった。確かにもう一度観に行きたいと思わせる映画だった。

 

しかし冷静に考えてみて、この作品が本当に物語として面白いのか?という思いが自分の中でぐるぐるとめぐっていた。ちょっとその問題についてじっくり考えてみた。

 

観終わってすぐの感動が少し冷めた頃に、私がふと頭に思い浮かんだ一言は「あれってそんなにすごい物語だったかな」ということだ。


①男女の中身が入れ替わる
②ストーリーの中で時系列の歪みがある
③未来の立場にいる人物が過去を塗り替えようとする

 

という構成は目新しいかと言えば決してそうではない。


以下は個人的に好きな作品の例。有名な作品もあるし、「君の名は。」が特別目新しいものではないということが証明できる。

 

①→「どっちがどっち!」、「パパとムスメの7日間
②→「(500)日のサマー」
③→「未来の想い出」、「Orange」

 

①男女の中身が入れ替わる
君の名は。」が違う点は「入れ替わっているタイミングがまばらである」という点である。ある程度長い期間入れ替わり、何かのきっかけでお互い元に戻るというわけではなく、瀧と三葉は数日間入れ替わった後、また元のお互いの心と身体に戻っていくという設定になっている。また、2人は全くの赤の他人で出会ったこともないという立場からストーリーが始まっているのも例の作品とは異なっている。
その相違点に関しては面白いと思った。これにより、瀧と三葉はお互いの体が入れ替わっている時間と本来の自分でいる時間に少しずつ相手の人生に影響を与えながら、相手を知りながら、気持ちを膨らませていく。
印象的だったシーンは瀧と入れ替わった三葉が瀧が片思いしている奥寺先輩とデートの約束をし、伝言と記録として残しているスマートフォンのメモ帳に「どちらになっても楽しもうね」というメッセージを残していたシーンである。
まだ恋をするには未熟で不器用な高校生が、お互いを一生懸命考えている気持ちが微笑ましい。あんなふうにお互いの生活をかき乱されていたら、好きになってしまうだろう。お決まりの展開ではあるが陳腐な部分と目新しい部分が絶妙に入り混じっていて新鮮さもあった。

 

②ストーリーの中で時系列の歪みがある
これに関しては例の作品の方が秀逸である。過去と未来を織り交ぜて観客を混乱させることにより「もう一度観たい」と思わせる戦略が効いている。ちょっと意味合いが違うが「イニシエーション・ラブ」もそれに近い。この要素が「君の名は。」の中で(③の要素のために)必要なものであったことは理解できるが私はどうしても三葉が、まだ三葉に出会っていない瀧に電車の中で声をかけるシーンに違和感を感じてしまった。
「あの時既に(僕らは)出会っていたんだ」というセリフもどうしても違和感があった。このシーンにより、瀧が普段からしているブレスレットのエピソードが浮かび上がるわけだが、どうも弱い。君の名は。」に関してはこの要素をうまく使いこなせていない印象が先行してしまい私にとってはマイナスポイントであった。

 

③未来の立場にいる人物が過去を塗り替えようとする
SFではよくある設定であり、目新しさはほぼない。例の「未来の想い出」ほど緻密で、予測が難しい展開でもないので観ていてハラハラしたり「これ、どうなるの?」と思うことは全くない。しかも塗り替えようとする「過去」が「彗星の落下」であり、1つ1つのシーンが「サマーウォーズ」の人工衛星落下シーンとかぶり既視感があるのである。「なんか見たことあるんだよな」というかんじがどうしてもしてしまう。しかも細田守新海誠は次世代アニメーション映画を担うライバル的存在でもあるので、余計に気になってしまうのである。意地悪な話、「細田と同じようなシーンにしちゃっていいの?」という思いが出てきてしまう。この要素に関してもプラス要素は見つけられなかった。(※ちなみに私は細田守も好きである。)


ではなぜ「君の名は。」がヒットし、特別視されているのかを考えてみた。

 

①映像がとにかく美しい
②キャラクターデザインと作品のイメージにあった楽曲挿入が巧みである
③恋心の芽生えの描写が新鮮である
新海誠作品の殻を破る要素があった

 

おおよそこのような要素であろう。

 

①映像がとにかく美しい
これはほぼ間違いなく、アニメ映画であれば映像の美しさは新海誠がNO1だろう。声優を担当した神木は「とにかく空の画がキレイ。少し緑がかっていているのが特徴だと思う」と述べ、監督自身も「空を嫌いな人はいないと思うし、そこは過剰に演出したい」と述べている。デビュー作品を観た時から空や宇宙の描写にこだわりがある監督であるのは感じていた。解放感のある夏を舞台とし、彗星をキーワードの1つとしていることもあり、空を仰ぎ見るシーンがよく登場している。うっとりしない人はいないだろう。

 

②キャラクターデザインと作品のイメージにあった楽曲挿入が巧みである
個人的には若干気になっているのだが、新海作品は楽曲の挿入をミュージックビデオかのように行うことが多い。秒速5センチメートル」では1つの章で丸々、山崎まさよしの「One more time,One more chance」を流しているし、「言の葉の庭」では絶妙なタイミングで秦基博の「Rain」がフルで挿入されている。
君の名は。」は章の区切りとしてRADWIMPSの曲が挿入されている。私は「MVかよ!!!」と思ってしまったのだが、吉と出ているか凶と出ているかと言えばストーリーの切り替えという効果として吉と出ていたと思う。
本作品でキャラクターデザインを田中将賀が担い、新海作品特有の「中二病感」(※解る人には解るかと思う。)が薄れたため、万人受けする高校生の爽やかさを重ねるかのようにRADWIMPSを選択したのはやはり巧かったと思う。


③恋心の芽生えの描写が新鮮である
前にも述べたが、瀧と三葉は「入れ替わることにより出会った」という複雑な出会い方をしている。「夢の中で度々見たことがある誰かと出会う」というストーリーもあるが、それとはまた少し違うのがこの作品の新鮮さとなっている。
最初二人は戸惑いながらもふざけている。瀧と入れ替わった三葉は憧れていたカフェで散財をし、三葉と入れ替わった瀧は男前な行動で男子の人気を集めてしまう。
入れ替わりが終わった後、「あいつ・・・!!」と戸惑い、お互いの生活を荒らし合う二人。ここまではコミカルで明るいコメディものの雰囲気が漂っており、予告編で見せていた印象そのままのストーリー展開である。
しかし途中から少しずつ少しずつ相手を思って行動していく。相手が残したメモや写真を確認しながら思いをはせて、でもなかなか恋心に気が付かない。
二人の想い出が消えかけていくとき、お互いの名前を必死で思い出そうとする。忘れたくないから、忘れないように、と。
時の歪みで二人が出会った時、お互いの名前を忘れないようにマジックペンで名前を残す。瀧がそこに残していたものが見せられる時の何とも言えない感動が切なくて心地いい。映画の予告ではこの辺のシリアスになっていく部分がほとんど明かされていないので映画を観た時に意外な気持ちになれるだろう。そこがまた巧い所でもあったと思う。


新海誠作品の殻を破る要素があった
新海誠は「男女のすれ違い」をテーマにしていた監督である。ほしのこえ」でも「秒速5センチメートル」でも「言の葉の庭」でも最後に「二人」は「出会えない」
思いを寄せ合い、近づこうとしているが、最後は声をかけることができずにすれ違ってしまう。しかし「君の名は。」のラストでは「二人」が「出会う」のである。目を合わせた瞬間に瀧が「僕はあなたに会ったことがある」と声をかけ、「私も」と三葉が答えて映画は終わる。毎回もどかしさを残す新海誠の作品で「初めての感覚」にこの作品で陥るのである。これは以前から新海誠ファンである私にとっては嬉しいものであった。おそらく他のファンにとってもそうだったかと思っている。

 

私が考えうる内容はここまでであり、以上のように考えを巡らせた結果、君の名は。」はストーリー自体の新鮮さはほとんどないが、その中で新海誠らしい演出と新海誠らしくない演出が織りなされており、初見の観客にも受け、既存ファンにも受ける要素がうまく融合していた作品であった。そのことにより高い評価を集めることができたのではないか。という結論になった。

 

ゴチャゴチャ考えた割に薄い内容になってしまったが、いち観客として私が感じたことは以上である。もう一度観た時にまた別の考えが生まれてくるかもしれない。

 

高校生の夏っていいね。