星を数えて。

ネガティブOL。34歳。

僕らの空中分解劇~さよなら青春の日々。大学生の思い出と共に~

なんとか繋がれていた大学生活で得た友達グループがついに空中分解の時を迎えた。
まぁ、私が好かれていなかっただけなのかもしれないが、既婚と独身の溝、時の流れというのは残酷なものである。
 
登場人物
 
A子(超一流企業に内定するも医者と23歳でデキ婚し退職。)
B子(結婚願望強めで26歳で職場の先輩である証券マンと結婚。専業主婦。)
C子(独身。ダメ男好き。結婚・出産願望強め。)
D男(世渡り上手な営業マン。C子の元彼。名古屋在住で今年挙式。)
E男(おっとり堅実な大手百貨店の販売員。今年入籍。挙式日程は未定。)
私(独身。結婚願望薄め。1人も好き。マイペース。)
 
出会い
 
大学のグループ授業で仲良くなり、時々飲んだりカラオケしたり。
金持ちのB子の肉親の別荘までドライブして海で遊んだり花火したりして青春。
長瀞への小旅行も。
 
★崩壊までの道のり
 
~再会~
 
「何者」よろしく厳しい就職活動をこなし、皆無事に内定を得て卒業まで遊びまくろーぜ!!などと言っていたが、私は大学生活最後の語学研修への参加のため勉強とバイトの毎日だった。
忘れもしない2011年。大きな地震が日本を襲った。私はその日韓国にいた。予定通り研修を受け、不安いっぱいの気持ちで日本に帰国した
卒業式は中止となり、友人たちと顔を合わせることなく卒業の日を迎えた。これくらいの時期に私は携帯電話(懐かしきガラケー)の紛失という失態を犯した。誰とも連絡をとらないまま社会人生活がスタートした。
 
そこから2年くらいして、あることがきっかけでFacebookを始めた。さすがに友達がいないのは悲しすぎるのでサーチすると、懐かしいメンバーたちがたくさんFacebookの世界にいた。
 
A子が友達承認してすぐに「ねぇ、どこにいたの!?連絡できなくてさみしかったよ!」とメッセージをくれた。今度みんなで集まるの!来てよ!」と。Facebookによって断絶されたコミュニティに再度私が加わることになった。
 
久しぶり待ち合わせた店で懐かしげに話す友人たち。時間に正確なC子と席につき、しばし談笑。A子とB子は時間通りに来なかった。店の予約をしたのはB子らしく、「さすがB子だね~。おしゃれな店だね」などと話しているとB子が謝りながら店に入ってきた。「どうしたの~?」と聞くと、「彼氏の実家に挨拶に行ってきてた。」とのこと。当時私はそれが何を意味するのかよく解っておらず、「ふーん。仲良しなんだ。」くらいに思っていた。
 
食事が半分以上出てきてからやっとA子が到着した。「あ、お酒飲めないんだ。今」とグレープフルーツジュースを注文するA子。「え?なんで」と聞くと「実は妊娠してまして。この前入籍しました。」と答えた。
 
A子は早生まれなので当時23歳。C子は現役合格なので24歳。B子と私は浪人してるので25歳。結婚・妊娠・婚約の話を聞くには早すぎる気がした。25歳というのはそこそこな年齢ではあると思っていたがそれでも結婚するのには早すぎると思っていた。当時私には付き合っている彼がいて、同棲したいなどとも考えていたので自然な流れでいけば時間をかけても27歳くらいには結婚するかも・・・とも思っていたしそんなに焦りもなかった。
 
A子の旦那は医者でB子がやたら写真を見ながら「イケメン、イケメン」と騒いでいた。
私も確認したが別にイケメンとは思わなかった。私の彼氏の写真を見せると「あぁ~30代ってかんじだね」という薄い反応。なんだこの温度差は、とムッとしたのをよく覚えている。
 
~私だけ招待されてない?~
 
春先に集まろうという連絡をもらった。C子を除く登場人物5名が揃ったランチだった。
子持ちのA子に合わせて、A子の旦那の実家に近い中華街や観覧車で有名な某所で待ち合わせた。遠いなぁ・・・と思いながらも友人に会いたかったので予定を合わせた。
 
私は当時、前述した恋人とは4か月で別れてしまい、傷心ながらもまだ恋愛が楽しい時期だった。仕事が楽しく、プロジェクトメンバーとも仲良しだったので仕事仲間とディズニーランドで遊んだり、そのうちの1人にアプローチされデートしたりと独身生活を謳歌していた。
 
A子の子どもを皆かわいいかわいいともてはやす中、私は退屈な気持ちでランチを過ごした。店の人にミルクを溶かすお湯を要求したり、写真を撮ってもらったりしているのをD男は「なんか赤ちゃんいるだけで対応あったかいもんね~とニコニコしていたが、私は率直に「ランチの混雑時に白湯くれだのなんだのってめっちゃ迷惑だと思うけど・・・」と思っていた。わざわざ2時間以上かけて向かった場所だったが、家事があるから・・・とランチだけして解散した。
 
その時、「A子の結婚式楽しみだね!俺、招待状の返信の仕方とか本で調べちゃったよ~」とD男が言った。私は二次会には招待されていたが、披露宴には招待されていなかったということをここで知った。
 
数日後、「sora、Facebookやるまで連絡先わからなかったから招待できてなかったんだけどぜひ披露宴来てほしいです」というメッセージが来た。再会した時点ではまだ招待状の準備はしていなかっただろうし、そこからあえて私を招待しなかっただろうに、気まずいからこのような行動をとったのだろう。横のつながりが分かっている状態での人数合わせの招待は非常に失礼なことだと聞いていたので、丁重にお断りした。A子の結婚式は私の新卒1社目の会社を退職する直前の日程に挙げられた。退職してから1ヶ月無職のため、ご祝儀に対してもシビアだったのである。
 
仕事で活躍することを夢見て転職を決めた私と玉の輿に乗り結婚式を挙げたA子。
人生観の違いをこの時感じた。
 
~小さな僻み~
 
その年の年末に社交的なC子が「忘年会しましょ!」と連絡をしてきた。いつものメンバーではないが複数の男性を交えて、私、B子、C子が参加した。時間にだらしないB子はこの日も遅刻が確定していた。
 
C子は宴が始まる前にぼそっと「B子ね~。あれ(B子の旦那)と結婚してもいいのかね~。う~ん。」とぼやいていた。B子とC子は結構仲が良いのだが、C子はB子に自分の彼氏の批判を受けるのを嫌がっていた。そう、B子はマウンティング女子の気があるのだ。
 
B子が来るまで独身でいるのが幸せか否かの論争をした。独身貴族のメンバーの1人が「え、つうか子供邪魔じゃない?いらなくない?」とぶっちゃけて非難されていたが、私はどちらかというとこの意見に賛成だった。結婚願望の強いC子が「子供ほしいよ。お母さんになりたい」と言っていたのが印象的だった。
 
B子が到着し、この話題はいったん切られた。B子は結婚が決まり「結婚決まったんだ~いいでしょう~」というかんじのオーラをプンプン漂わせていた。グループメンバーの人生が少しずつ変わり始めていることにさみしさと疎外感を感じたのはこれくらいの時期だったのかもしれない。
まだ私は結婚したくなかった。好きな人もいなかった。
 
~まだ感じていなかった違和感~
 
新しい年を迎え、そこからまた春がやってきた。今度はC子も交えて女子会をしよう!となり、また中華街が有名な某所で待ち合わせた。この日のメンバーはA子、A子の子ども、B子、C子、私だった。B子は結婚式を無事に終え、C子は2度目の転職をしたばかりの時期だった。C子はずっと「A子の赤ちゃんに会いたい」と言っていて、この日が初対面だった。
 
その辺のカフェに入店し4人(+A子の子ども)で談笑していたのだが、A子の子どもがかなり感情の起伏が激しいようで、こちらが話している最中に大きな声を出したり泣き出したりしていた。私はC子の転職話を聞きたかったので、話題に出した。C子も鬱憤がたまっていたのかすぐに話を始めようとしたのだがそのタイミングでA子の子どもが騒ぐ。当然皆の目はA子の子どもに向かってしまい、C子は「え?」という表情を何度かしていた。心の中では「こんなんじゃ話せないじゃん」と思っていたのだと思う。
 
B子はA子の子どもをかわいい、かわいいとあやした。かなりの子供好きなようだった。私はA子の子どもの食事のマナーの悪さに食欲が減退した。おそらくこの時、少しくらいは私もC子も「子供が邪魔」と思い始めていたのだと思う。しかしランチのごくわずかな時間だし、子供に対する新鮮さも手伝って気づいていなかったのだと思う。
 
~参加できなかったBBQ~
 
そこから数カ月後、夏休みの時期にさしかかり、皆でBBQをしようという話になった。
私は予定がバッティングしてしまい、参加できなかった。この日は私以外の5人のメンバー(+A子の子ども)が参加していた。私は三重で一人旅をしながらちょくちょく送られてくる楽しそうな写真をLINEで確認した。本当に楽しそうだった。
 
~A子のでっかいタワーマンションで女子会~
 
秋の風が吹くころ、また会わないかとA子から連絡が来た。場所はA子の自宅である中華街が有名な某所のタワーマンション。私はBBQのキャンセル料を払わなければならなかったので、参加すると返信した。退社ラッシュでぎゅうぎゅうの電車に揺られて、仕事終わりにA子のタワーマンションまで向かった。新築のきれいな部屋でお酒を飲みながら女子会をした。この時の参加メンバーはA子、A子の子ども、C子、私だった。
 
私は世間話的に同じ会社の既婚男性によく誘われるといった話を2人にした。イケメンなんだよね~、でも不倫はね~とかそんなかんじで。このときB子は妊娠していたので不参加だった。
 
~自由さと不自由さ~
 
B子の子どもが無事生まれたということでまた女子会をしようという話になった。また私は子連れに合わせて中華街が有名な某所まで行かなければならなかった。さすがに交通費も時間ももったいないと感じるようになっていた。子供と一緒に入店できるピザ屋さんでランチ。
 
一緒に入店したママグループがめちゃくちゃ騒がしく、普通の声では会話ができなかった。
話しても「ごめん、聞こえない」と申し訳なさそうに何度か言われた。「ううん、大丈夫だよ」と言いつつ、このランチ代と交通費で4000円以上は絶対使うことにうんざりした。店を出てから近くのB子の自宅でお茶をしながらおしゃべり。このとき、A子に以前話した既婚男性とはどうなったのかと面白そうに聞かれてイラっとしたのを覚えている。
 
A子は子供が保育園に入るタイミングで復職する予定だったのだが、それを旦那に反対されているという話をした。1ヶ月別居状態で考えていると。神妙な顔つきで話を聞いていたが私には何の口出しもできない話題なので黙っていた。その次の日、A子は退職願を会社に提出したとFacebookで周知した。ひたすら可哀そうだと私は思った。そんな人生は嫌だと。
 
~料理会どころじゃない~
 
そこから何度かA子の自宅にお邪魔して談笑という機会があった気がする。とにかく、遠いのと子供がぐずることによって話が中断される流れにうんざりし始めてきた。誘いを受けると毎回迷うのだが、自分の結婚式の時に呼ぶかもしれないし、とか友達がいないと思われたくないという下心が私を動かした。季節は巡り、また冬休みに突入した。A子の自宅であるタワーマンション敷地内に貸切キッチンがあるからそこで料理をして遊ぼうという話になった。この時の参加者はA子、A子の子ども、B子、B子の子ども、C子、E男、私だった。
 
材料を買ってキッチンまで行くも、子供をどこに寝かせようか、あやそうかと逡巡しているせいでまとも料理ができない。結局C子がフライパンで肉を人数分焼いて皿に盛り、それを食べつつお酒を飲む、というかなりしょぼい料理といえない料理で腹を満たした。キッチンの貸切は時間制なので、結局この日食べた食事は豚焼き肉2枚とウィンナー1本とチューハイだけだった。しかも貸切代を支払わされるコスパの悪さである。そしてA子はまたまた以前私が話した既婚男性の話を持ち出した。何度否定しても話題に出す。さすがに苛立ちを感じた。
一方E男は幸せムード満点に恋人ができたことを報告していた。
 
~C子の異変~
 
時の流れは早い。あっという間に冬休みとなった。年始、正月休みを返上し休日出勤をしていたある日、C子の元彼であるD男がグループLINEに投稿をしてきた。
結婚します」と。
そしてE男も投稿してきた。
入籍します」と。
「おめでとう」と「えーーー!!!」という無意味な絶叫のメッセージでLINE通知数が増加させられて行く中、C子が個別に私にLINEしてきた。既婚者と子持ちのメッセージで埋まるLINEに耐えられない。元彼も結婚して・・・またB子に何か言われるかもしれない。もう集まりに行きたくない」ということを。C子は順調に病んでいた。
 
私もB子のC子への恋人のディスりや自分の幸せ自慢が激しすぎるとは感じていたので、それをLINEで伝えると不満が爆発したのかかなりの長文返信が来た。子持ちに合わせて交通費かけて、でも待ってる時間の方が長かったり、結婚や恋愛のことに口出しされたり、うんざりだ。といった内容だった。
 
ここからC子はあからさまにLINEでの投稿や皆との集まりを避けるようになった。
私もこの時期にははっきりと嫌悪感を感じるようになっていた。一方的に何枚も子供の着物姿の写真が送信され、おだてる皆に違和感を感じた。ここから数日後にまた集まりの約束がつけられたが、あまりにも忙しすぎるので自分は参加しなかった。もちろんC子も参加しなかった。
 
~それでも無理する女子会づきあい~
 
2人目を妊娠したA子がまた皆に会いたいと言い出した。場所は子供カフェ。立地は当たり前のように中華街が有名な某所である。行きたくなかった。でも行った。この日のメンバーはA子、A子の子ども、B子、B子の子ども、C子、私。その時の詳細は以下に述べてある。

帰り道、C子が「もう行きたくない」とうんざりした顔でつぶやいた。私もこの期に及んでもまだ数年前に話した既婚男性の話題だの不倫だのの話をされてイライラしていた。会うことに猛烈なエネルギーを要するようになった。
 
~私も嫌になった~
 
その年のGW、なぜか勝手に作成された女子グループ用のLINEに「GWに会いたい」という有閑主婦からのメッセージが届いた。A子は2人目の出産を終えたばかりで、また皆に赤ちゃんと遊んでほしいと思っているようだった。C子から個別LINEで「行きたくない」と愚痴交じりのメッセージが届いた。C子は適当な嘘をついて不参加の返事をグループLINEにしてきた。この時期も相変わらず自分の仕事は忙しく、GWを返上して出勤をしていた。正直気持ち的にもかなりキツかった。趣味である野球観戦のシーズンが始まり、そちらを優先したかった。
 
そんな中、なんとか調整してA子の自宅にお邪魔したのだ。B子は珍しくソロでやってきた。
旦那さんが1人目の子供と遊んでくれ、2人目の子供のみだったがかなり大人しい子だったのでほぼ大人たちだけの会話となった。私は恋活や街コンの話をしたが、バリバリ会社で働いている実情や男遊びを楽しんでいることに気まずさを感じたので思ってもいないのに「早く結婚したいよ」等と自分の状況をさらにこじらせる発言をした。仕方なく仕事を辞めたA子と仕事に興味がないB子の前ではこう言うしかなかったのだ。帰宅への道のり、撮影した写真がグループLINEに投下されるのをぼんやり眺めた。
 
~私だけ招待されてない?2~
 
6月、D男の結婚式だった。二次会の招待だった。C子は元カノなので招待されていないとのことだったが、それ以外のメンバーは皆招待されているようだった。この数日前に私はB子に「少し早く待ち合わせてお茶しない?」と送ったのだが既読スルーされた。当日、その理由が分かった。
私だけ披露宴に招待されていなかったのである。
二次会の撮影タイムの時、D男に「ごめんね。迷ったんだけどこの前集まったメンバーにしようって思ったんだ」と言い訳された。私の中で何かの糸が切れた。無理して仕事を調整して、交通費をかけて遠出して、子供が苦手なのに子守をして関係を保とうと努力していた中、1回集まりに来なかっただけで招待客として除外された。
 
D男たちとは大学で出会い、D男の挙式は私たちの母校であるチャペルで挙げられたのだ。
余計に招待されなかったことに失望した。怒りを通り越して笑っていた。帰宅すると「D男ウェディング」という名のLINEグループが作成され、皆が撮った写真をアップロードしていた。自分は撮影した写真を全てアップロードしてすぐに退会した。
 
~迎えた空中分解~
 
数カ月後の10月、D男とE男の誕生日にグループLINEがにぎわった。しばらく私は無視し、寝る直前に会話を確認した。A子がなぜか子供の写真を送信し、B子がはしゃぎながら祝いの言葉を述べ、D男は「ありがとう、人妻たち!」という無神経なメッセージを送っていた。C子からは個別LINEで「子供の写真を送られても困る」「D男の発言にいらっとした」という愚痴メッセージが届いていた。私は火に油を注ぐのを認識しつつC子にD男の披露宴に私だけ招待されなかった話をし、だからもう集まりも無理して行くのは辞めると宣言した。C子の中でも何かが炎上したらしく、次の日長文LINEが2通個人LINEに投下されていた。今度2人で飲もうとも書いてあった。
 
私は、「あぁ。ついに空中分解したなぁ」と悟った。
 
~エピローグ~
 
「いや、実際あんたD男と会ってないし披露宴招待されないのは仕方なくない?」とか「そもそも嫌われてたんじゃね?」とかツッコミどころはあるのだろうが、私たちはいったいどうなるのであろう。直近で悩ましいのはE男の結婚式である。E男には今のところ何も不快なことをされていないため断る理由がないのだ。もし参加すれば二次会では確実に彼らと顔を合わせなければならない。
 
このように逡巡して、結局は集まりに参加することになるのだろう。その最大の原動力は「他の人に友達がいないと思われたくないから」という下心なんだと思う。そしてみんなそんなものなのだろうと思う。なぜならそうでなければ「既婚の友達と会っても楽しくありません」とか「アラサ―の既婚独身混合の女子会が苦痛です」とかいう悩みは掲示板に上がらないからである。彼女たちは下心があるから無理して会っているにすぎない。
 
人生とは小説よりも奇なるものなのである。
 
~完~