雨宮まみさんが亡くなった。『ずっと独身でいるつもり?』とか、読んだな。
Facebookで意識高い系の後輩が全公開にしているこれまた意識高い系のビジネスマンの投稿にいいね!をしていて、私のウォールにまでそれが上がってきた。
『雨宮まみさんが亡くなったのが本当にショックだ…!「とても良い文章を書く人だなぁ。いつかお会いしたいなぁ」と前々から思っていて、ご本人とFBのコメント欄でやりとりしたりする事もたまにあったんだけれども、(以下略)』(原文ママ)
・・・なんか・・・「有名な人と交流したことある俺」アピールにしか感じられなかったのは私の性格が歪んでいるからなのだろうか・・・。
というか、別に面識もない有名人が亡くなったからっていちいち「涙が止まらない」とか「辛い」とか感情的な投稿を上げる人ってなんなんだろう。
ただただ嫌悪感と違和感を感じる。
スティーブジョブスが亡くなった時とかマイケルジャクソンが亡くなった時とか。
「別にそこまで好きじゃないっしょ?知らないでしょ?」ってかんじがする。「偉大な人が残していったプロダクトを理解できるセンスがある自分」アピールに見えるよ。
私はiPhoneしか使ってないし、スリラーくらいしか知らない。なんだ、「涙が止まらない」って・・・。
その人の作品がもう絶対この世に公開されないというのはとても残念なことだ。ファンだったらなおさらそう感じるだろう。
でも、ファンだったら、本当に好きだったらそんな軽々しい投稿できるかな。
森田芳光や市川準が亡くなった時、私はニュースで放送された葬儀の様子を見ながら1人静かに泣いていた。
もう彼らの映画の新作を待つことは二度とないんだなという思いと楽しかった思い出とふがいなさと。「残念です」なんてFacebookやTwitterで投稿する気なんか全然起きなかった。
本当に好きなものを失ったら受け入れるのにそれなりの時間がかかるものだと私は思うのだけど。
こうやって大衆の場で自分の意見を述べて、それが何かの気晴らしとか供養になると思っているタイプの人間もいるってことなんだろうか。
なんかさ、人の死をネタにするみたいなかんじがして私は好きじゃないよ。
悲しい恋愛をしたことがある人には良さが分かる作品。ピザを食べる田中さんがかわいい。