星を数えて。

ネガティブOL。34歳。

有名人が亡くなったことに対して簡単に「悲しい」とか言って感情公開する自己プロデュースとかアピールが嫌い。

雨宮まみさんが亡くなった。『ずっと独身でいるつもり?』とか、読んだな。 

Facebook意識高い系の後輩が全公開にしているこれまた意識高い系のビジネスマンの投稿にいいね!をしていて、私のウォールにまでそれが上がってきた。

雨宮まみさんが亡くなったのが本当にショックだ…!「とても良い文章を書く人だなぁ。いつかお会いしたいなぁ」と前々から思っていて、ご本人とFBのコメント欄でやりとりしたりする事もたまにあったんだけれども、(以下略)』(原文ママ

・・・なんか・・・「有名な人と交流したことある俺」アピールにしか感じられなかったのは私の性格が歪んでいるからなのだろうか・・・。


というか、別に面識もない有名人が亡くなったからっていちいち「涙が止まらない」とか「辛い」とか感情的な投稿を上げる人ってなんなんだろう。

 

ただただ嫌悪感と違和感を感じる。

 

スティーブジョブスが亡くなった時とかマイケルジャクソンが亡くなった時とか。

 

「別にそこまで好きじゃないっしょ?知らないでしょ?」ってかんじがする。「偉大な人が残していったプロダクトを理解できるセンスがある自分」アピールに見えるよ。


私はiPhoneしか使ってないし、スリラーくらいしか知らない。なんだ、「涙が止まらない」って・・・。


その人の作品がもう絶対この世に公開されないというのはとても残念なことだ。ファンだったらなおさらそう感じるだろう。


でも、ファンだったら、本当に好きだったらそんな軽々しい投稿できるかな。

 

森田芳光市川準が亡くなった時、私はニュースで放送された葬儀の様子を見ながら1人静かに泣いていた。

 

もう彼らの映画の新作を待つことは二度とないんだなという思いと楽しかった思い出とふがいなさと。「残念です」なんてFacebookTwitterで投稿する気なんか全然起きなかった。


本当に好きなものを失ったら受け入れるのにそれなりの時間がかかるものだと私は思うのだけど。

 

こうやって大衆の場で自分の意見を述べて、それが何かの気晴らしとか供養になると思っているタイプの人間もいるってことなんだろうか。

 

なんかさ、人の死をネタにするみたいなかんじがして私は好きじゃないよ。

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 悲しい恋愛をしたことがある人には良さが分かる作品。ピザを食べる田中さんがかわいい。

(ハル)

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 インターネット恋愛が普及する前に公開された作品。静かで繊細で大好き。村上春樹の本が出てくるのもツボ。

ノミニケーションとかいう幻想。

ノミニケーション(会社の人と楽しく飲んでコミュニケーションを円滑にして仕事にもつなげようみたいな造語)とか完全に幻想だよなと思う。


飲んで面白い奴でも仕事ができなかったら絶対に認められないし仲良くしてもらえない。


私もしない。


というか、そういう人は飲みの場の段階で孤立してたりするんだけど。


前に勤めていた会社が結構規模が大きいからか何かと勘違いしていて、月に1回どの事業部でも報告会と並行して懇親会もやりましょーみたいなノリだった。


衝撃的だが費用は全部自分持ち。懇親会は自由な雰囲気が強いからまだ納得できても忘年会も自分持ち、キックオフ会もその場での支払いはないけど社員の給料から天引きされる仕組みだった。


そりゃ行かんだろってかんじなのに、行かないと「あいつ新人のくせになってない」とか陰でめちゃくちゃ叩かれた。

 

ないから。

 

飲んで社員と仲良くなることなんかないから。

 

リラックスもできないのに新卒薄給をやりくりしての1人暮らしのカツカツの中なんでそんなことに金を使ってストレスをためなければならないのか。


新人と話したい、説教したいという上の気持ちは理解できる。行かないと「最近の若者は・・・」とか「こんくらい参加すればいいのに」と思うのも分かる。


でも「ノミニケーションが・・・」って切り口はすっごい頭悪い浅はかな説得だからやめておけば?と言いたい。

 

仕事で関わる人たちは仕事で認め合ってこそ円滑なコミュニケーションができるのだと思う。


事実、自分より下の人とは仲良くしないと決めているのか、仕事ができない人には打ち上げの飲み会で完全無視してくるようなサブリーダーとかいたし。

 

楽しく飲めるのは仕事でいい関係を構築してからなんだよなぁ。根本が間違ってるよね。笑

 

んで、そこそこ仕事ができるようになった今、どういう飲み会だったら参加するか決めてるかというと目当ての男性がいるか、仲良しの女性がいるかの2択。笑


最近はプロジェクトの雰囲気がいいから皆のことが好きだし、必然的に打ち上げには参加するんだけどね。


それもお互い皆がプロジェクトが進む中で認め合えたからこそ。


おいしいお酒はいい仕事から、だよ。

 

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どうせなら楽しい場で飲みたいもん。

世界は残酷で、甘くないんだよ。と思った話。

もはや皆忘れかけている某大手企業の女性新入社員が過労死した事件の話だが、こういう事件が起こると毎回「労働状況の改善を云々」という一番安全な正義的発言が出てくる。そういうことを言う人たちを見ると、申し訳ないけど「甘い世界で生きてきたんだなぁ」と思う。そしてイライラする。


自分に分かる範囲内で賢い風に正論を語りたいんでしょ?と思う。

 

大体こういうことを言う人は一般職の女性とか新人のまだ若い社会人とか主婦とかそのへん。

 

このニュースを見てすぐに浮かんだ感想は「状況を把握して逃げるというタイミングを失ったのは気の毒だな」「でも弱いものに合わせていったらどんどん世間はダメになっていくものだし、しょうがないよな」だった。


世間って、世界ってそういうものだと思う。

 

能力が低い人に合わせていったらレベルがどんどん下がっていくし、弱いものは無視するしかない。下層にいる人に合わせることは全然正しいことでもなんでもない。ただ、こういうことを言うと非難されるから黙っているだけで、働いている人、いつ蹴落とされてもおかしくないような競争が激しい世界で生きてる人はほぼ全員こう思っているもんだと思う。

 

今回話題となった某企業はきっとその小さな世界の基準が尋常でなく高くて、その異様な厳しさが世間の普通レベルの人、甘々な人にはものすごく残酷に映って、そして話題と非難の的になっただけなんだろう。

 

だって今日もその世界で変わらず働いている人がいるのだから。彼女だってまさかこんな結果になってしまうとまでは予測してなかったにせよその厳しさくらい認識して入社してたと思う。


そういう世界で生きることを選ぶ人、選びたい人だっているわけで、1つの生命が失われたことは非常に悲しいことだとは思うけど、それを表面的なものだけみて某企業はブラックだのクソだのと安易に言う人は何の苦労も知らずに厳しい戦いを切り抜けて高い位置に君臨した大手企業をそれらしくディスって何の中身もない優越感に浸っている人でしかない。

 

私はSE(システムエンジニア)で、OB・OG訪問の質問タイムで「SEは残業が多いイメージなのですがやはり残業はありますか」とかいう質問をほぼ確実に受ける。結論からいうとそんなものはSEの仕事や事情として当たり前だし、残業が嫌ならSE目指すのやめなと心の中で思っている。この質問は「ダイエットしたくないけどモデルになりたいんです」という質問と同じである。

 

あるコミュニティに入ったら、そのコミュニティの常識に合わせる必要があるし、その「常識」というのは世間一般から見てどう見えるかというのはその中に入ってしまえば何の意味も成さない。会社というのはそういうものだと思っている。

 

私の同僚は鬱で1年も仕事をしないうちに会社を退職した。結果を求められることがプレッシャーだった、1日パソコンを前に座りっぱなしという仕事スタイルで気持ちの下降に拍車をかけたとかそんなかんじだったらしい。私は全然同情しなかった。ただ「甘いな」と思った。

 

彼に会社が合わせてくれないのは当たり前だし、そんなことをしたらどんどん会社が堕落する。たぶん、彼が退職したくらいの時期には同期全員「彼が甘いだけ」と思っていたと思う。これを安易に「彼が可哀そうだ」とか言う人は大抵は社会の波にもまれていない類の人間である。

 

結局某企業もそうだっただけだ。業界No1の会社の存り方として当たり前に在り続けただけだ。

 

「郷に入りては郷に従え」という言葉が大きな世界と小さな世界で暗黙の了解として根付いていることを忘れてはならない。

 

世の中を生き抜いていく、仕事で生活を構築していくというのは自分の能力で世間の様々なものと戦っていくこととイコールだと思っている。そのためには能力が必要で、いざとなったら逃げるというのもまた能力なのだと思う。たくさんの小さな世界のうち、安全圏にいることを選択するのも、その世界にちゃっかり身を置いてしまうのもまた能力だ。自分に合った世界を見つけるのもまた能力だ。

 

こんな風に考えてしまう私はきっと社畜気質なんだろうし、結婚も遅いのだろう。(最悪できない。)

 

そんなオチ。

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おいしいごはんは正義だよ。

 

 

僕らの空中分解劇~さよなら青春の日々。大学生の思い出と共に~

なんとか繋がれていた大学生活で得た友達グループがついに空中分解の時を迎えた。
まぁ、私が好かれていなかっただけなのかもしれないが、既婚と独身の溝、時の流れというのは残酷なものである。
 
登場人物
 
A子(超一流企業に内定するも医者と23歳でデキ婚し退職。)
B子(結婚願望強めで26歳で職場の先輩である証券マンと結婚。専業主婦。)
C子(独身。ダメ男好き。結婚・出産願望強め。)
D男(世渡り上手な営業マン。C子の元彼。名古屋在住で今年挙式。)
E男(おっとり堅実な大手百貨店の販売員。今年入籍。挙式日程は未定。)
私(独身。結婚願望薄め。1人も好き。マイペース。)
 
出会い
 
大学のグループ授業で仲良くなり、時々飲んだりカラオケしたり。
金持ちのB子の肉親の別荘までドライブして海で遊んだり花火したりして青春。
長瀞への小旅行も。
 
★崩壊までの道のり
 
~再会~
 
「何者」よろしく厳しい就職活動をこなし、皆無事に内定を得て卒業まで遊びまくろーぜ!!などと言っていたが、私は大学生活最後の語学研修への参加のため勉強とバイトの毎日だった。
忘れもしない2011年。大きな地震が日本を襲った。私はその日韓国にいた。予定通り研修を受け、不安いっぱいの気持ちで日本に帰国した
卒業式は中止となり、友人たちと顔を合わせることなく卒業の日を迎えた。これくらいの時期に私は携帯電話(懐かしきガラケー)の紛失という失態を犯した。誰とも連絡をとらないまま社会人生活がスタートした。
 
そこから2年くらいして、あることがきっかけでFacebookを始めた。さすがに友達がいないのは悲しすぎるのでサーチすると、懐かしいメンバーたちがたくさんFacebookの世界にいた。
 
A子が友達承認してすぐに「ねぇ、どこにいたの!?連絡できなくてさみしかったよ!」とメッセージをくれた。今度みんなで集まるの!来てよ!」と。Facebookによって断絶されたコミュニティに再度私が加わることになった。
 
久しぶり待ち合わせた店で懐かしげに話す友人たち。時間に正確なC子と席につき、しばし談笑。A子とB子は時間通りに来なかった。店の予約をしたのはB子らしく、「さすがB子だね~。おしゃれな店だね」などと話しているとB子が謝りながら店に入ってきた。「どうしたの~?」と聞くと、「彼氏の実家に挨拶に行ってきてた。」とのこと。当時私はそれが何を意味するのかよく解っておらず、「ふーん。仲良しなんだ。」くらいに思っていた。
 
食事が半分以上出てきてからやっとA子が到着した。「あ、お酒飲めないんだ。今」とグレープフルーツジュースを注文するA子。「え?なんで」と聞くと「実は妊娠してまして。この前入籍しました。」と答えた。
 
A子は早生まれなので当時23歳。C子は現役合格なので24歳。B子と私は浪人してるので25歳。結婚・妊娠・婚約の話を聞くには早すぎる気がした。25歳というのはそこそこな年齢ではあると思っていたがそれでも結婚するのには早すぎると思っていた。当時私には付き合っている彼がいて、同棲したいなどとも考えていたので自然な流れでいけば時間をかけても27歳くらいには結婚するかも・・・とも思っていたしそんなに焦りもなかった。
 
A子の旦那は医者でB子がやたら写真を見ながら「イケメン、イケメン」と騒いでいた。
私も確認したが別にイケメンとは思わなかった。私の彼氏の写真を見せると「あぁ~30代ってかんじだね」という薄い反応。なんだこの温度差は、とムッとしたのをよく覚えている。
 
~私だけ招待されてない?~
 
春先に集まろうという連絡をもらった。C子を除く登場人物5名が揃ったランチだった。
子持ちのA子に合わせて、A子の旦那の実家に近い中華街や観覧車で有名な某所で待ち合わせた。遠いなぁ・・・と思いながらも友人に会いたかったので予定を合わせた。
 
私は当時、前述した恋人とは4か月で別れてしまい、傷心ながらもまだ恋愛が楽しい時期だった。仕事が楽しく、プロジェクトメンバーとも仲良しだったので仕事仲間とディズニーランドで遊んだり、そのうちの1人にアプローチされデートしたりと独身生活を謳歌していた。
 
A子の子どもを皆かわいいかわいいともてはやす中、私は退屈な気持ちでランチを過ごした。店の人にミルクを溶かすお湯を要求したり、写真を撮ってもらったりしているのをD男は「なんか赤ちゃんいるだけで対応あったかいもんね~とニコニコしていたが、私は率直に「ランチの混雑時に白湯くれだのなんだのってめっちゃ迷惑だと思うけど・・・」と思っていた。わざわざ2時間以上かけて向かった場所だったが、家事があるから・・・とランチだけして解散した。
 
その時、「A子の結婚式楽しみだね!俺、招待状の返信の仕方とか本で調べちゃったよ~」とD男が言った。私は二次会には招待されていたが、披露宴には招待されていなかったということをここで知った。
 
数日後、「sora、Facebookやるまで連絡先わからなかったから招待できてなかったんだけどぜひ披露宴来てほしいです」というメッセージが来た。再会した時点ではまだ招待状の準備はしていなかっただろうし、そこからあえて私を招待しなかっただろうに、気まずいからこのような行動をとったのだろう。横のつながりが分かっている状態での人数合わせの招待は非常に失礼なことだと聞いていたので、丁重にお断りした。A子の結婚式は私の新卒1社目の会社を退職する直前の日程に挙げられた。退職してから1ヶ月無職のため、ご祝儀に対してもシビアだったのである。
 
仕事で活躍することを夢見て転職を決めた私と玉の輿に乗り結婚式を挙げたA子。
人生観の違いをこの時感じた。
 
~小さな僻み~
 
その年の年末に社交的なC子が「忘年会しましょ!」と連絡をしてきた。いつものメンバーではないが複数の男性を交えて、私、B子、C子が参加した。時間にだらしないB子はこの日も遅刻が確定していた。
 
C子は宴が始まる前にぼそっと「B子ね~。あれ(B子の旦那)と結婚してもいいのかね~。う~ん。」とぼやいていた。B子とC子は結構仲が良いのだが、C子はB子に自分の彼氏の批判を受けるのを嫌がっていた。そう、B子はマウンティング女子の気があるのだ。
 
B子が来るまで独身でいるのが幸せか否かの論争をした。独身貴族のメンバーの1人が「え、つうか子供邪魔じゃない?いらなくない?」とぶっちゃけて非難されていたが、私はどちらかというとこの意見に賛成だった。結婚願望の強いC子が「子供ほしいよ。お母さんになりたい」と言っていたのが印象的だった。
 
B子が到着し、この話題はいったん切られた。B子は結婚が決まり「結婚決まったんだ~いいでしょう~」というかんじのオーラをプンプン漂わせていた。グループメンバーの人生が少しずつ変わり始めていることにさみしさと疎外感を感じたのはこれくらいの時期だったのかもしれない。
まだ私は結婚したくなかった。好きな人もいなかった。
 
~まだ感じていなかった違和感~
 
新しい年を迎え、そこからまた春がやってきた。今度はC子も交えて女子会をしよう!となり、また中華街が有名な某所で待ち合わせた。この日のメンバーはA子、A子の子ども、B子、C子、私だった。B子は結婚式を無事に終え、C子は2度目の転職をしたばかりの時期だった。C子はずっと「A子の赤ちゃんに会いたい」と言っていて、この日が初対面だった。
 
その辺のカフェに入店し4人(+A子の子ども)で談笑していたのだが、A子の子どもがかなり感情の起伏が激しいようで、こちらが話している最中に大きな声を出したり泣き出したりしていた。私はC子の転職話を聞きたかったので、話題に出した。C子も鬱憤がたまっていたのかすぐに話を始めようとしたのだがそのタイミングでA子の子どもが騒ぐ。当然皆の目はA子の子どもに向かってしまい、C子は「え?」という表情を何度かしていた。心の中では「こんなんじゃ話せないじゃん」と思っていたのだと思う。
 
B子はA子の子どもをかわいい、かわいいとあやした。かなりの子供好きなようだった。私はA子の子どもの食事のマナーの悪さに食欲が減退した。おそらくこの時、少しくらいは私もC子も「子供が邪魔」と思い始めていたのだと思う。しかしランチのごくわずかな時間だし、子供に対する新鮮さも手伝って気づいていなかったのだと思う。
 
~参加できなかったBBQ~
 
そこから数カ月後、夏休みの時期にさしかかり、皆でBBQをしようという話になった。
私は予定がバッティングしてしまい、参加できなかった。この日は私以外の5人のメンバー(+A子の子ども)が参加していた。私は三重で一人旅をしながらちょくちょく送られてくる楽しそうな写真をLINEで確認した。本当に楽しそうだった。
 
~A子のでっかいタワーマンションで女子会~
 
秋の風が吹くころ、また会わないかとA子から連絡が来た。場所はA子の自宅である中華街が有名な某所のタワーマンション。私はBBQのキャンセル料を払わなければならなかったので、参加すると返信した。退社ラッシュでぎゅうぎゅうの電車に揺られて、仕事終わりにA子のタワーマンションまで向かった。新築のきれいな部屋でお酒を飲みながら女子会をした。この時の参加メンバーはA子、A子の子ども、C子、私だった。
 
私は世間話的に同じ会社の既婚男性によく誘われるといった話を2人にした。イケメンなんだよね~、でも不倫はね~とかそんなかんじで。このときB子は妊娠していたので不参加だった。
 
~自由さと不自由さ~
 
B子の子どもが無事生まれたということでまた女子会をしようという話になった。また私は子連れに合わせて中華街が有名な某所まで行かなければならなかった。さすがに交通費も時間ももったいないと感じるようになっていた。子供と一緒に入店できるピザ屋さんでランチ。
 
一緒に入店したママグループがめちゃくちゃ騒がしく、普通の声では会話ができなかった。
話しても「ごめん、聞こえない」と申し訳なさそうに何度か言われた。「ううん、大丈夫だよ」と言いつつ、このランチ代と交通費で4000円以上は絶対使うことにうんざりした。店を出てから近くのB子の自宅でお茶をしながらおしゃべり。このとき、A子に以前話した既婚男性とはどうなったのかと面白そうに聞かれてイラっとしたのを覚えている。
 
A子は子供が保育園に入るタイミングで復職する予定だったのだが、それを旦那に反対されているという話をした。1ヶ月別居状態で考えていると。神妙な顔つきで話を聞いていたが私には何の口出しもできない話題なので黙っていた。その次の日、A子は退職願を会社に提出したとFacebookで周知した。ひたすら可哀そうだと私は思った。そんな人生は嫌だと。
 
~料理会どころじゃない~
 
そこから何度かA子の自宅にお邪魔して談笑という機会があった気がする。とにかく、遠いのと子供がぐずることによって話が中断される流れにうんざりし始めてきた。誘いを受けると毎回迷うのだが、自分の結婚式の時に呼ぶかもしれないし、とか友達がいないと思われたくないという下心が私を動かした。季節は巡り、また冬休みに突入した。A子の自宅であるタワーマンション敷地内に貸切キッチンがあるからそこで料理をして遊ぼうという話になった。この時の参加者はA子、A子の子ども、B子、B子の子ども、C子、E男、私だった。
 
材料を買ってキッチンまで行くも、子供をどこに寝かせようか、あやそうかと逡巡しているせいでまとも料理ができない。結局C子がフライパンで肉を人数分焼いて皿に盛り、それを食べつつお酒を飲む、というかなりしょぼい料理といえない料理で腹を満たした。キッチンの貸切は時間制なので、結局この日食べた食事は豚焼き肉2枚とウィンナー1本とチューハイだけだった。しかも貸切代を支払わされるコスパの悪さである。そしてA子はまたまた以前私が話した既婚男性の話を持ち出した。何度否定しても話題に出す。さすがに苛立ちを感じた。
一方E男は幸せムード満点に恋人ができたことを報告していた。
 
~C子の異変~
 
時の流れは早い。あっという間に冬休みとなった。年始、正月休みを返上し休日出勤をしていたある日、C子の元彼であるD男がグループLINEに投稿をしてきた。
結婚します」と。
そしてE男も投稿してきた。
入籍します」と。
「おめでとう」と「えーーー!!!」という無意味な絶叫のメッセージでLINE通知数が増加させられて行く中、C子が個別に私にLINEしてきた。既婚者と子持ちのメッセージで埋まるLINEに耐えられない。元彼も結婚して・・・またB子に何か言われるかもしれない。もう集まりに行きたくない」ということを。C子は順調に病んでいた。
 
私もB子のC子への恋人のディスりや自分の幸せ自慢が激しすぎるとは感じていたので、それをLINEで伝えると不満が爆発したのかかなりの長文返信が来た。子持ちに合わせて交通費かけて、でも待ってる時間の方が長かったり、結婚や恋愛のことに口出しされたり、うんざりだ。といった内容だった。
 
ここからC子はあからさまにLINEでの投稿や皆との集まりを避けるようになった。
私もこの時期にははっきりと嫌悪感を感じるようになっていた。一方的に何枚も子供の着物姿の写真が送信され、おだてる皆に違和感を感じた。ここから数日後にまた集まりの約束がつけられたが、あまりにも忙しすぎるので自分は参加しなかった。もちろんC子も参加しなかった。
 
~それでも無理する女子会づきあい~
 
2人目を妊娠したA子がまた皆に会いたいと言い出した。場所は子供カフェ。立地は当たり前のように中華街が有名な某所である。行きたくなかった。でも行った。この日のメンバーはA子、A子の子ども、B子、B子の子ども、C子、私。その時の詳細は以下に述べてある。

帰り道、C子が「もう行きたくない」とうんざりした顔でつぶやいた。私もこの期に及んでもまだ数年前に話した既婚男性の話題だの不倫だのの話をされてイライラしていた。会うことに猛烈なエネルギーを要するようになった。
 
~私も嫌になった~
 
その年のGW、なぜか勝手に作成された女子グループ用のLINEに「GWに会いたい」という有閑主婦からのメッセージが届いた。A子は2人目の出産を終えたばかりで、また皆に赤ちゃんと遊んでほしいと思っているようだった。C子から個別LINEで「行きたくない」と愚痴交じりのメッセージが届いた。C子は適当な嘘をついて不参加の返事をグループLINEにしてきた。この時期も相変わらず自分の仕事は忙しく、GWを返上して出勤をしていた。正直気持ち的にもかなりキツかった。趣味である野球観戦のシーズンが始まり、そちらを優先したかった。
 
そんな中、なんとか調整してA子の自宅にお邪魔したのだ。B子は珍しくソロでやってきた。
旦那さんが1人目の子供と遊んでくれ、2人目の子供のみだったがかなり大人しい子だったのでほぼ大人たちだけの会話となった。私は恋活や街コンの話をしたが、バリバリ会社で働いている実情や男遊びを楽しんでいることに気まずさを感じたので思ってもいないのに「早く結婚したいよ」等と自分の状況をさらにこじらせる発言をした。仕方なく仕事を辞めたA子と仕事に興味がないB子の前ではこう言うしかなかったのだ。帰宅への道のり、撮影した写真がグループLINEに投下されるのをぼんやり眺めた。
 
~私だけ招待されてない?2~
 
6月、D男の結婚式だった。二次会の招待だった。C子は元カノなので招待されていないとのことだったが、それ以外のメンバーは皆招待されているようだった。この数日前に私はB子に「少し早く待ち合わせてお茶しない?」と送ったのだが既読スルーされた。当日、その理由が分かった。
私だけ披露宴に招待されていなかったのである。
二次会の撮影タイムの時、D男に「ごめんね。迷ったんだけどこの前集まったメンバーにしようって思ったんだ」と言い訳された。私の中で何かの糸が切れた。無理して仕事を調整して、交通費をかけて遠出して、子供が苦手なのに子守をして関係を保とうと努力していた中、1回集まりに来なかっただけで招待客として除外された。
 
D男たちとは大学で出会い、D男の挙式は私たちの母校であるチャペルで挙げられたのだ。
余計に招待されなかったことに失望した。怒りを通り越して笑っていた。帰宅すると「D男ウェディング」という名のLINEグループが作成され、皆が撮った写真をアップロードしていた。自分は撮影した写真を全てアップロードしてすぐに退会した。
 
~迎えた空中分解~
 
数カ月後の10月、D男とE男の誕生日にグループLINEがにぎわった。しばらく私は無視し、寝る直前に会話を確認した。A子がなぜか子供の写真を送信し、B子がはしゃぎながら祝いの言葉を述べ、D男は「ありがとう、人妻たち!」という無神経なメッセージを送っていた。C子からは個別LINEで「子供の写真を送られても困る」「D男の発言にいらっとした」という愚痴メッセージが届いていた。私は火に油を注ぐのを認識しつつC子にD男の披露宴に私だけ招待されなかった話をし、だからもう集まりも無理して行くのは辞めると宣言した。C子の中でも何かが炎上したらしく、次の日長文LINEが2通個人LINEに投下されていた。今度2人で飲もうとも書いてあった。
 
私は、「あぁ。ついに空中分解したなぁ」と悟った。
 
~エピローグ~
 
「いや、実際あんたD男と会ってないし披露宴招待されないのは仕方なくない?」とか「そもそも嫌われてたんじゃね?」とかツッコミどころはあるのだろうが、私たちはいったいどうなるのであろう。直近で悩ましいのはE男の結婚式である。E男には今のところ何も不快なことをされていないため断る理由がないのだ。もし参加すれば二次会では確実に彼らと顔を合わせなければならない。
 
このように逡巡して、結局は集まりに参加することになるのだろう。その最大の原動力は「他の人に友達がいないと思われたくないから」という下心なんだと思う。そしてみんなそんなものなのだろうと思う。なぜならそうでなければ「既婚の友達と会っても楽しくありません」とか「アラサ―の既婚独身混合の女子会が苦痛です」とかいう悩みは掲示板に上がらないからである。彼女たちは下心があるから無理して会っているにすぎない。
 
人生とは小説よりも奇なるものなのである。
 
~完~
 
 

「東京タラレバ娘」は現役独身アラサー女性にとって迷惑な作品であると思う件。

東京タラレバ娘」がドラマ化されると知った。あぁやだなぁというのが率直な現役独身アラサーの意見である。

  

この漫画は等身大の独身アラサー女性の生きざまをリアルに描き出していると評判だが、私としては独身アラサー女性の品が疑われる描写が多く複雑な気持ちになる。


この作品は「世の中の独身女性のうまくいっていない姿を描いて読者を悦に浸らせる」ことを目的にしているように思える。

 

主人公は33歳の女性3人で、仕事に生きていたがその仕事を若い社員に取られたり恋愛で妥協できず婚期を逃しかけている女性、本当は一番に愛されたいが元彼のセカンドになり下がり寂しさと戦いながら生きている実家暮らしの女性、不倫している女性のそれぞれの恋愛模様や思いが描かれている。

 

まぁ、確かに主人公たちのような思いをしている女性もいるだろうが、この作品は全体を通してとにかく「独身であることの惨めさ」や「うまくいっていない独身の悲しい人生」を描写することにだけ力を注いでいて、5巻まで話が進んだ今となっては読んでいて不自然な感情ばかりが沸いてくるのである。


「あるある」でもなんでもないというか、もはや「あるある」を通り越して「ギャグ」に見える。

 

今どきの33歳は主人公たちのようにバカではないと思う。

 

仕事を若い子に取られるのは自分の努力不足だと自覚しているだろうし、不倫やセカンドなんかでメソメソもしないと思う。33年生きていれば、自分の感情のリスクヘッジくらいできるだろう。


だけどこの作品では、とにかく賢く生きるということを知らない愚かな女性3人がゴタゴタ恋愛のことばかり考えて女子会をし、実生活で失敗するシーンばかりが描かれる。

 

これが「独身アラサー女性」の「あるある」と思われるのはかなり困る。というか、世間の大半のご本人たちにとって迷惑であろう。私もその1人だ。

 

「私この人たちよりはマシだわ」とか「うまくいってなくていい気味だ」と思いたい世間の人々がこの作品のターゲットなのであろう。人と比較することで自分の幸・不幸を測ろうとする人間の弱く醜い心理を突く戦略に基づいた作品である。

 

でもそこに等身大の私たち(独身アラサー女性)を巻き込まないでくれよと思うのである。不倫もセカンドも全然「あるある」じゃないから。街コンやパーティーだってそこそこ楽しいこともあるから。自由で決まらない人生ってなかなか好きだから。と思うのだ。そこは反論したい。

 

というか作品を読んで、倫子は仕事で承認欲求が満たされてるんだろうし、恋愛なんか本当はしたくないんでしょと感じたし、セカンドの香に関してはなぜ涼にはっきりと「1番に付き合ってほしい」と言わないのかが理解できない。小雪に関しては不倫するならもう少し賢くやれよと思う。とにかくうまくいっていない風に描かなければならないので設定や話の流れがどんどん不自然になってきているのだ。要は漫画として面白くなくなってきている。

 

等身大である私が全然共感できないのに「この作品の中の女性たちが独身アラサー女性そのものの姿です」というような評価が世間に出回っている反発心もこの作品を好きになれない1つの要素である。こういうストーリーのものが世間に流出すると「あ~独身女性って本当にこんなかんじなんだ~」という誤解を受けるのでそれが心底腹立たしい。

 

最近こういったコンセプトのドラマが広まってきたせいで既婚と独身の混じった女子会(※あえてこう表現。)で「不倫してるの?」とか「婚活してるの?」とマウンティング気味に質問されて面倒くさくてしょうがない。


ドラマ化は、この独身女性のフラストレーションの炎にさらなる油を注ぐことになるのであろう。


やはり私は「東京タラレバ娘」が好きではない。

 

以上。

 第1巻。昔自分が振った男がプロポーズしてくると思いきや自分より若い女の子に告白を・・・。別に「あるある」じゃないっていう。しかも自分が過去に振った男なんか興味ないでしょう。女は。 

  第2巻。昔自分が浮気して別れることになった元彼バンドマンがメジャーになり、セカンドでもいいからと付き合う香。浮気した自分が悪い。因果応報だろうが。かわいそうでもなんでもない。

 第3巻。恋愛にうつつをぬかし、影ながら努力していた後輩に仕事を取られる倫子。自分が悪いんだから被害者意識するなよと言いたい。そして小雪は不倫相手の奥さんのFacebookなんか覗くなよと言いたい。男は何の決断もしないからね。

 第4巻。一緒にいてつまらん男なら頑張って結婚しなくてもいいだろう。当たり前のことである。あと、世間の結婚している女性たちは妥協でも我慢でもなく「この男性のためだったら多少の我慢も含めて努力していける」と思って結婚してるからね。妥協でも打算でもないから。必要なのは妥協なんかじゃなく、「そういう男性に出会う自分を作り上げる努力」と言いたい。

東京タラレバ娘(5) (KC KISS)

東京タラレバ娘(5) (KC KISS)

 

 第5巻。旅行の待ち合わせで不倫相手から奥さんの体調不良を理由にドタキャンを食らう小雪。いやいや不倫してる男性は奥さんの話なんか愛人にしないからとかツッコミどころ満載である。香はなぜ涼に告白しないのが不明。香と涼みたいな関係、自分は理想である。本命になったっておかしくない。

【ネタバレ】「君の名は。」はそこまですごい作品だったか考えてみた。

有給を取って公開日に君の名は。を観てきた。

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美しい映像とRADWIMPSの挿入歌で世界観が大きく、圧倒的に広がって、観終わった後に感動でふわふわした気持ちになった。確かにもう一度観に行きたいと思わせる映画だった。

 

しかし冷静に考えてみて、この作品が本当に物語として面白いのか?という思いが自分の中でぐるぐるとめぐっていた。ちょっとその問題についてじっくり考えてみた。

 

観終わってすぐの感動が少し冷めた頃に、私がふと頭に思い浮かんだ一言は「あれってそんなにすごい物語だったかな」ということだ。


①男女の中身が入れ替わる
②ストーリーの中で時系列の歪みがある
③未来の立場にいる人物が過去を塗り替えようとする

 

という構成は目新しいかと言えば決してそうではない。


以下は個人的に好きな作品の例。有名な作品もあるし、「君の名は。」が特別目新しいものではないということが証明できる。

 

①→「どっちがどっち!」、「パパとムスメの7日間
②→「(500)日のサマー」
③→「未来の想い出」、「Orange」

 

①男女の中身が入れ替わる
君の名は。」が違う点は「入れ替わっているタイミングがまばらである」という点である。ある程度長い期間入れ替わり、何かのきっかけでお互い元に戻るというわけではなく、瀧と三葉は数日間入れ替わった後、また元のお互いの心と身体に戻っていくという設定になっている。また、2人は全くの赤の他人で出会ったこともないという立場からストーリーが始まっているのも例の作品とは異なっている。
その相違点に関しては面白いと思った。これにより、瀧と三葉はお互いの体が入れ替わっている時間と本来の自分でいる時間に少しずつ相手の人生に影響を与えながら、相手を知りながら、気持ちを膨らませていく。
印象的だったシーンは瀧と入れ替わった三葉が瀧が片思いしている奥寺先輩とデートの約束をし、伝言と記録として残しているスマートフォンのメモ帳に「どちらになっても楽しもうね」というメッセージを残していたシーンである。
まだ恋をするには未熟で不器用な高校生が、お互いを一生懸命考えている気持ちが微笑ましい。あんなふうにお互いの生活をかき乱されていたら、好きになってしまうだろう。お決まりの展開ではあるが陳腐な部分と目新しい部分が絶妙に入り混じっていて新鮮さもあった。

 

②ストーリーの中で時系列の歪みがある
これに関しては例の作品の方が秀逸である。過去と未来を織り交ぜて観客を混乱させることにより「もう一度観たい」と思わせる戦略が効いている。ちょっと意味合いが違うが「イニシエーション・ラブ」もそれに近い。この要素が「君の名は。」の中で(③の要素のために)必要なものであったことは理解できるが私はどうしても三葉が、まだ三葉に出会っていない瀧に電車の中で声をかけるシーンに違和感を感じてしまった。
「あの時既に(僕らは)出会っていたんだ」というセリフもどうしても違和感があった。このシーンにより、瀧が普段からしているブレスレットのエピソードが浮かび上がるわけだが、どうも弱い。君の名は。」に関してはこの要素をうまく使いこなせていない印象が先行してしまい私にとってはマイナスポイントであった。

 

③未来の立場にいる人物が過去を塗り替えようとする
SFではよくある設定であり、目新しさはほぼない。例の「未来の想い出」ほど緻密で、予測が難しい展開でもないので観ていてハラハラしたり「これ、どうなるの?」と思うことは全くない。しかも塗り替えようとする「過去」が「彗星の落下」であり、1つ1つのシーンが「サマーウォーズ」の人工衛星落下シーンとかぶり既視感があるのである。「なんか見たことあるんだよな」というかんじがどうしてもしてしまう。しかも細田守新海誠は次世代アニメーション映画を担うライバル的存在でもあるので、余計に気になってしまうのである。意地悪な話、「細田と同じようなシーンにしちゃっていいの?」という思いが出てきてしまう。この要素に関してもプラス要素は見つけられなかった。(※ちなみに私は細田守も好きである。)


ではなぜ「君の名は。」がヒットし、特別視されているのかを考えてみた。

 

①映像がとにかく美しい
②キャラクターデザインと作品のイメージにあった楽曲挿入が巧みである
③恋心の芽生えの描写が新鮮である
新海誠作品の殻を破る要素があった

 

おおよそこのような要素であろう。

 

①映像がとにかく美しい
これはほぼ間違いなく、アニメ映画であれば映像の美しさは新海誠がNO1だろう。声優を担当した神木は「とにかく空の画がキレイ。少し緑がかっていているのが特徴だと思う」と述べ、監督自身も「空を嫌いな人はいないと思うし、そこは過剰に演出したい」と述べている。デビュー作品を観た時から空や宇宙の描写にこだわりがある監督であるのは感じていた。解放感のある夏を舞台とし、彗星をキーワードの1つとしていることもあり、空を仰ぎ見るシーンがよく登場している。うっとりしない人はいないだろう。

 

②キャラクターデザインと作品のイメージにあった楽曲挿入が巧みである
個人的には若干気になっているのだが、新海作品は楽曲の挿入をミュージックビデオかのように行うことが多い。秒速5センチメートル」では1つの章で丸々、山崎まさよしの「One more time,One more chance」を流しているし、「言の葉の庭」では絶妙なタイミングで秦基博の「Rain」がフルで挿入されている。
君の名は。」は章の区切りとしてRADWIMPSの曲が挿入されている。私は「MVかよ!!!」と思ってしまったのだが、吉と出ているか凶と出ているかと言えばストーリーの切り替えという効果として吉と出ていたと思う。
本作品でキャラクターデザインを田中将賀が担い、新海作品特有の「中二病感」(※解る人には解るかと思う。)が薄れたため、万人受けする高校生の爽やかさを重ねるかのようにRADWIMPSを選択したのはやはり巧かったと思う。


③恋心の芽生えの描写が新鮮である
前にも述べたが、瀧と三葉は「入れ替わることにより出会った」という複雑な出会い方をしている。「夢の中で度々見たことがある誰かと出会う」というストーリーもあるが、それとはまた少し違うのがこの作品の新鮮さとなっている。
最初二人は戸惑いながらもふざけている。瀧と入れ替わった三葉は憧れていたカフェで散財をし、三葉と入れ替わった瀧は男前な行動で男子の人気を集めてしまう。
入れ替わりが終わった後、「あいつ・・・!!」と戸惑い、お互いの生活を荒らし合う二人。ここまではコミカルで明るいコメディものの雰囲気が漂っており、予告編で見せていた印象そのままのストーリー展開である。
しかし途中から少しずつ少しずつ相手を思って行動していく。相手が残したメモや写真を確認しながら思いをはせて、でもなかなか恋心に気が付かない。
二人の想い出が消えかけていくとき、お互いの名前を必死で思い出そうとする。忘れたくないから、忘れないように、と。
時の歪みで二人が出会った時、お互いの名前を忘れないようにマジックペンで名前を残す。瀧がそこに残していたものが見せられる時の何とも言えない感動が切なくて心地いい。映画の予告ではこの辺のシリアスになっていく部分がほとんど明かされていないので映画を観た時に意外な気持ちになれるだろう。そこがまた巧い所でもあったと思う。


新海誠作品の殻を破る要素があった
新海誠は「男女のすれ違い」をテーマにしていた監督である。ほしのこえ」でも「秒速5センチメートル」でも「言の葉の庭」でも最後に「二人」は「出会えない」
思いを寄せ合い、近づこうとしているが、最後は声をかけることができずにすれ違ってしまう。しかし「君の名は。」のラストでは「二人」が「出会う」のである。目を合わせた瞬間に瀧が「僕はあなたに会ったことがある」と声をかけ、「私も」と三葉が答えて映画は終わる。毎回もどかしさを残す新海誠の作品で「初めての感覚」にこの作品で陥るのである。これは以前から新海誠ファンである私にとっては嬉しいものであった。おそらく他のファンにとってもそうだったかと思っている。

 

私が考えうる内容はここまでであり、以上のように考えを巡らせた結果、君の名は。」はストーリー自体の新鮮さはほとんどないが、その中で新海誠らしい演出と新海誠らしくない演出が織りなされており、初見の観客にも受け、既存ファンにも受ける要素がうまく融合していた作品であった。そのことにより高い評価を集めることができたのではないか。という結論になった。

 

ゴチャゴチャ考えた割に薄い内容になってしまったが、いち観客として私が感じたことは以上である。もう一度観た時にまた別の考えが生まれてくるかもしれない。

 

高校生の夏っていいね。

ある程度のスペックを持ちながら恋活をしているのにいつまでも結果を出せない人の特徴を考えてみた。

yukusora1.hatenablog.com

 

pairsに再登録したらこの記事で書いた彼がいた。びっくりして即ブロックしたが、同時に「あれから2か月経ってもまだ彼女できてないんだ・・・」と思った。

 

顔は申し分なくかっこよく、年齢も28歳と若く、大手企業に勤めていて、多趣味。ホワイトキーで出会ったのだが、ほぼ毎回人気ランキング1位になると言っていた。

 

でも今、pairsをやっている。

 

というか元々pairsを彼に勧めたのは私である。それが発端かは知らないが、友達段階の時期に「こういうアプリあるんだよ。顔かっこいいしやってみれば」と言ったのだ。パーティーも相当行っていたみたいだし、それに加えてpairsもやっているということだから本当に彼女がほしいと思っているのだろう。遊びではないと思っている。


ではなぜ彼には彼女ができないのかとすごく疑問に思うかと言えばNOである。約半年恋活をやってみて感じたことは男も女も「恋人が出来ない人には出来ないなりの理由がある」ということだ。

 

今回は男女ともにいえる共通点を挙げようかと思う。

 

ある程度のスペックを持ちながらもいつまでも恋人ができない人は

 

①数を打っていくうちにビビっと来る人に出会えればいいと思っている
②人との距離の測り方が下手
③常識はずれ
④愛情深くなく、結局自己中心的

 

という要素が揃っている。

 

以下、例を出しながら述べる

 

①数を打っていくうちにビビっと来る人に出会えればいいと思っている

いわゆるパーティー常連者である。私もこのように考えている節がある。
「フィーリングが合う人は話した瞬間に分かるはずだ。結婚する相手候補を探すならなおさらそういう人を見つけないと」と。

 

そしてとにかく場数を踏む。ビビっと来なければ2回目のデートはない。次にまたパーティーに行けばいいという考え方。

 

しかし自分の活動と人生を振り返って思うのだが、「ビビっと最初に来る」なんてのは後付けの話であって、2回目、3回目とコミュニケーションを重ねることによりフィーリングや相性の良さが二人の間に生まれるものなのではないかと思うのだ。

 

例えばせっかちな人がマイペースな人と一緒にいることで「たまにはのんびりしているのもいいな」と思うようになるとか、スポーツマンタイプとインドア派が付き合ってスポーツや読書をお互い好きになったりとか。

 

それが分かっている人(恋愛強者)の場合だと「合わせられそうなところは合わせてもう少しコミュニケーションを取りたい」とじっくり向き合おうとする。これができる人は大抵すぐに恋活で結果を出せる。「まだ好きかわからないけど告白されて自然とうれしいと思えたから付き合うことにしたの」と言って、順調に交際を継続している。


逆にできない人はいくら見た目がよくてモテてもいつまで経っても恋人ができず、一時的にできてもすぐに振られている。

 

数を打つのではなく、打っていく中で命中した的を大事にできる人が強い。

命中した的をとりあえず横目で確認してピンと来なければそのまま忘れるタイプの人間はいつまでも弱い。

 

生涯を共にするパートナーを一目で決めるというのはむしろ危険なことだと思うのだが、たぶん本人たちは気づいていない。直感こそ大事という「運命」という言葉が好きな人たちだ。


②人との距離の測り方が下手

恋活ですぐに恋人を作った友人は距離の取り方が上手だ。LINEも相手のテンションと頻度に合わせると言っていた。遊ばれたこともあったがしつこく追わない。1通未読スルーされた時点で追撃もしない。


しかし恋愛市場で選ばれない人間というのは人との距離の取り方がマイペース故の失敗を犯している。

 

距離の詰め方が強引な人はすぐに引かれる。以下すべて実例。

・まだ敬語がいいと言っているのに無理やりタメ口で会話させようとしてくる
・あだ名で呼びたくないのに「○○(下の名前)って呼んでみて」と強制してくる
・「髪の毛キレーだねー」「手相見てあげる」「握手しよう」となんとかボディータッチしようとする
・「○○(その人の趣味)面白いからやってよ!」と相手に自分の趣味を押し付ける。CD貸すよ~とか本貸すよ~も同じこと。
・「もう3回も会ってるんだから付き合っていいと思う。なんでそんな物分り悪いの?」とゴリ押し発言をする

 

逆に距離をいつまでも詰められない人もフェードアウトされる。以下すべて実例。

・いつまでも敬語でラフなコミュニケーションを提案することもない
・LINEの頻度が全く変化しない
・いつまでも自分から誘わない

 

③常識はずれ

不思議なことだが社会に出ている人間であることが信じられない行動をしている人が結構いる。間違いなく結婚相手の候補としては切り捨てられる。以下すべて実例。

 

 ■行動編
  ・2時間遅刻して会っても謝らない
  ・長文LINE
  ・短文無意味LINE(意味不明な画像・動画・スタンプだけ送ってくる)
  ・すぐに性行為を求める
  ・「考える」といって結果的に返事をしない
 
 ■発言編
  ・子供産んでおきなよ。産まないとかなんで?(女性を道具扱い)
  ・「めんどくさいと思った」(思ってても普通は言わない)
  ・「俺のこと好きになれよ。体の相性はわからないよ?」(相手に好意を示した覚えは一回もない)
  ・「君と付き合うっていうのはないよ。君とのエッチは想像できないもん。笑」(で、実際は絶対想像してる)

 

こんな行動および発言をされて相手が幻滅しないと思っているとはものすごい感覚の持ち主たちである。


ちなみに「子供が欲しいから若い人がいい」という発言をする人が結構いるという話を既婚の男性に話したら「若くても不妊治療で苦労している人たちがいるのにそんな発言を女性に平気でするなんて無神経すぎる。ありえない。」とドン引きしていた。
やはり結婚する人というのは根本が全然違うといういい例である。


④愛情深くなく、結局自己中心的

これが一番大きい。愛情深さは結婚可否を大きく左右するバロメータだと思っている。特に女性は愛情深さがあるのならほぼ確実に結婚できると信じているくらい私はこの要素を重要視している。

 

結婚をステータスや年齢として捉えているタイプである。そうではないと言っても実際はそうである。自分の結婚したい願望を優先させているから相手をきちんと見ようとしない。合わないかもしれないと思う部分を埋めようとしない。

 

傷つけずに相手を拒否するという道の選択がずれていてフェードアウトも無視も朝飯前。一方的に自分の思いを伝えるためだけに長文LINE。相手を傷つけたくない、喜ばせたいという思いが希薄な割に他人がする行為へのハードルは高い。最初くらい奢れ!とかお礼LINEがすぐに来ないとか諸々。そして自分のことは振り返らない。

 

愛情深さというのは大人になってから育むのは難しい、土台的要素である。
しかし、これが欠けていると恋活・婚活において結果を出すのにはかなり厳しい。
無理に身に着けられるものではないから、頭で考えながら人間関係の経験値を今から積んでいくしかないだろう。しかしやはりこの要素に気づいていない人間は多い。


以上、さらっと読める程度に書くとこういうかんじである。

 

まぁ、私が告白した相手がpairsをやっていたこともあるが、そろそろ疲れが出てきていて活動を休みたいなという思いがある。

 

この記事を書いている最中も私がこの先すぐに改善して恋人ができるかというと実に微妙であるし、やりたいことが多すぎて恋活にリソースを持って行かれるのがきつくなっているということもある。

 

恋活市場をぼんやり眺めて、やみくもに泳いでみて、他人の話も聞いてみた上での感想は結局、恋愛弱者がぐるぐる回り続けている混沌とした沼のような場所というものである。

 

参加するパーティーで同じ人と再開するというのがどうしても嫌だと感じてしまうことに気づいた。むしろそれが絶対ないと言えるのであれば恋活を無邪気に楽しめているのだと思うのだが・・・。

 

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恋愛弱者の沼プールでダラダラ泳ぐのもそろそろ飽きたということだ。