28歳最後の夜、衝動的にポテトサラダを作った。ハムとニンジンを加えたポテトがゴロゴロしているサラダ。ボウルいっぱいのそれを眺め、作りすぎたと放心するも薄暗いキッチンで写真を撮り、仲の良い友人にLINEした。
他愛のない会話を終えて、手を丹念に洗ってからベッドにもぐった。
朝目覚めたらまたひとつ年をとる。と思うとワクワクするような、焦るような、不思議な感覚にとらわれ中々寝付けない。
夢と現実の狭間で薄く目を開けて耳を澄ますと雨が強く降っているようだった。アイマスクをずらし、再度装着しながら何とかもう一度眠ろうとする。薄紫色の雨が睡眠を邪魔する。
朝、強い太陽の光で目覚めた。汗がにじんで気持ち悪い。
スマートフォンで起床時間を確認すると、とっくに仕事をしている時刻が刻まれていた。
「遅刻だ。」
午前休を取ろうか、すぐにでも出社しようか。逡巡するも答えはほぼ決まっていた。
「本日は終日お休みいただきます。」
眠った姿勢のまま会社のメールアドレスにメールを送信した。
LINEを開くと弟からメッセージが届いていた。誕生日のお祝いメールかと思いきや、弟の購入したマイホームに家族で遊びに行く日に父と母にちょっとしたプレゼントをしたいという相談内容だった。「当日、何か買ってきてよ」という絵文字もスタンプもないメッセージだった。たぶん誕生日当日だということは完全に忘れているのだろう。
萎えた気持ちを抱えてモタモタと朝ごはんの準備をしつつ何も気にしていないかのように了解、とシンプルな返信をした。
29歳初日、何を最初に食べたのか覚えていないくらい平凡な朝食だった。機械的に出かける準備をしつつも急きょ会社を休んでまでしたいことなどなかった。
自分の記念日に購入したいと雑誌で見て目を付けていたサンゴとパールの指輪は、まだ発売日を迎えていないし、引っ越してから買おうと考え続けていた不思議の国のアリスがモチーフチャームになった水色のキーケースも1か月前に購入してしまった。
薄く化粧をして日傘を差して外出する。日傘に合うようにフェミニンな恰好にしようと、購入したばかりの花柄のスカートと肩がふわっとした型のクリーム色のブラウスを合わせた。
やることなんかなく、観たい映画もなく、いつもの習慣で古本屋に向かう。騒々しいJ-POP音楽とアナウンスが流れる中、ハードカバー2冊、文庫本1冊を購入した。これが自分への誕生日プレゼントだ。本がないと生活ができない。
さみしさに襲われ、LINEを確認すると友人からメッセージが届いていた。ちょっとした会話をしたら仕事終わりにバッティングセンターに行こうという話になり、喫茶店で指定の時刻まで時間をつぶす。
ファーストフード店の安い味わいのカフェラテをすすって、買ったばかりの古本をめくった。そんなに欲しかったというわけでもない。
白熱灯で照らされたバッティングセンターでデート服のような服装でバッティングをした。スイングうまくなったねと言われても全然満足ができない。
ピッチングコーナーに移動し、板抜き勝負もした。体を温めた後でも滅多に運動で使わない肩は下手に動かすとすぐに痛めてしまう。前方のラインに位置して適度な緊張と恥ずかしさの中、8枚の板を抜くことができた。
友人は興奮気味にほめてくれたものの、その後9枚の板を抜き、2ゲーム連続のパーフェクトを出してしまったので勝負は私の負けとなった。
汗をぬぐい、帰りにスポーツバーに寄って、ヤクルトとベイスターズの試合を観戦した。癖のないペールエールと平凡な味わいのフィッシュアンドチップスを楽しみながら、劣性なヤクルトの試合を悲痛な表情で見守った。
大引選手がゲッツー打を放ちゲームセットしたすぐその瞬間、荷物をまとめてさっさとスポーツバーを後にした。夜風は生ぬるく、私の気持ちは下がったままだったが友人の手前、そこまで素直に顔に出すわけにもいかず、なんとかそれらしい態度をとっていたのだと記憶している。
月の習慣の手前だったということもきっとあるのだろうが、誕生日は毎年、なぜかほろ苦い。去年は一人で横浜スタジアムで野球観戦した。
傍からみたらきっと自由をそれなりに楽しんでいる独身生活なのだろう。
でも、誕生日に一人なんて・・・と思う。
やっと一人になれた・・・と思う帰り道。
明日は会社に行かなければならない。家事をこなして気持ちを切り替える必要があった。
誰にとっても平凡な一日を、「誕生日である」という人だけが幸せか、不幸か身に染みて感じているものなのだろうか。
やっぱり誕生日は毎年好きになれない。
さみしいから?
そうかもしれない。
29歳になった。